


建物はただの自然の一部であるだけ...
何よりも晩對樓の美しさは、建物の威容よりは自然さである。 釘を一つも使わず、木の部材だけで組み合わせて作った建物の品格は、自然そのままの木の色と歳月の質感で奥ゆかく光っている。
樓マルの下に下ると、曲がったその姿のままの太い柱が建物を支えてる。木材達は手入れをしてなかったので、互いに違う姿である。 柱を支える礎も全く整えてなく、そのままの形である。本来からそこにあったような気持を与える。礎に使うには理解できないほどの大きな石を使うときもあるし、
柱をわざと礎の片方の角に立てたりもしている。柱と礎の間が合わなかったらそのまま木のクサビを打ち込んでいる。樓マルに上がる木の階段は感動そのものである。大きな丸太を斧で何カ所か切り取って階段を作った。
"建物はただの自然の一部"という我が祖先達の建築意識をそのまま感じさせる。
'晩對樓'はそれだけで、完成された一つの味のある絵である。 縦に広がる屛山と川に沿って広くおかれた'晩對樓'。
その上に上がる人々さえもその風景に同化され、また一つの自然になる、そのような場所だ。